プロフィール

 

↑自己紹介の動画をとりなおしました。

よかったらご覧ください^^

 

 

 

はじめまして。

プロフィールページをご覧いただき、ありがとうございます。

 

 

 

永久定着 自己肯定感カウンセリング

あらため

pc & メンタルサポート

の 岸 洋志(きし ひろし)と申します。

 

(上の動画はまだ前の肩書きのままです・・

いましばらくお待ちくださいね^^;)

 

 

 

私は、子どものころは、集団がこわいものにかんじて、

いつも気配を消して、なるべく目立たないようにしていました。

 

 

社会人になったあとも

なるべく目立たないようにふるまっていました。

 

 

社会人になって

転職した会社で、

自分の営業成績がさがりぎみになり、

目立ちたくないのに目立つようになり・・・

 

 

しまいには営業所長に

「岸くん、キミは人間でいる資格がないんやないかね」

といわれ、

うつになってしまったことがあります。

 

 

 

けれどいまでは、

集団もこわくなくなり、

自己肯定感が高まって

仕事もプライベートも

楽しく過ごせるようになりました。

 

 

 

 

私のカウンセリングでは

ココロの境界線をひくことで

自己肯定感が高まり

人生の流れが好転します。

 

 

  • 集団が苦手自分をさらけ出せない
  • 仕事の悩みを抱えていて月曜になるのが怖い
  • 他人の目が気になっ自分の意見を言えない
  • 相手に悪いと思い「No」が言えない
  • 自分の言ったことをいつまでもくよくよ考えてしまう

 

あなたがもしこういった傾向をお持ちなら、

一緒に人生をより良いものに変えていきましょう。

 

以下に私のプロフィールを綴っています。

少し長文ですが、よろしければお読みください。

・・・・・・

 

集団はこわいし、とにかく目立ちたくない

小学校に上がるまでは、

北関東ののどかなところで過ごしていました。

 

小学校1年がおわった春休みに親の転勤で、

埼玉県に引っ越しました。

 

転校してからは、

クラスではなるべくめだたないようにしていました。

 

授業では、「誰か分かる人?」と聞かれて

答えがわかっていたとしても、

手はあげませんでした。

さされると、声が震えたり、

真っ赤になってしどろもどろになってしまうからです。

 

できるだけ目立たないようにしていました。

 

休み時間には、

友達がいないので

突っ伏して寝たふりをしていました。

 

相手が一人ならまだ話せるのですが、

大勢になって注目されると

耳まで真っ赤になってしまうので

恥ずかしく、

集団はとにかく苦手でした。

 

小学高学年でいじめ

小学6年のときに、

クラスの3人くらいからいじめられました。

 

下校時に唾を吐きかけられたり、

羽交い締めにされたり、

図工の授業で作った作品をゴミ箱に捨てられたり・・。

 

もう本当に嫌でした。

 

 

学校には安全とおもえる場所が

どこにもありませんでした。

 

 

わたしの様子がおかしいと思った母親が、

学校の様子をきいてきました。

仕方なく打ち明けました。

 

 

母は、

「中学に行くまではなんとか耐えなさい、

環境が変わったら状況も変わるから。」

 

私は、

「こんな辛い毎日をまだ耐えなきゃいけないのか、

でも中学に行けばなんとかなるかも」

という一心でひたすら残りの小学時代を耐えました。

 

中学でもいじめ

中学校に入って、

心機一転、野球部に入りました。

入部希望者をふるい落とす

きつい仮入部期間を1週間耐え切って、

本入部となりました。

 

 

はじめは野球をすることが

とても楽しかったです。

 

 

でも、事件が起こりました。

 

 

部活動で使う靴が破けてしまったため

新しいものに替えたところ、

部活での周りの様子がガラリと変わりました。

 

 

どうやら私がわざと靴を自分で切って

新しいものに変えたと

噂が広がったのです。

 

 

周りからの冷たいいじめが始まりました。

いじめはシカトでした。

 

 

当時の私にとっては

集団はおそろしいままでしたから、

誤解を解くために

自分をさらけ出すなんて

自己肯定感の低い私には

とんでもないことでした。

 

学生時代から就職

野球部はその後やめ、別の運動部に転部しました。

中学時代は、野球部の人たちから逃げ回ってましたね。

 

 

高校以降は、集団内でうまくやり過ごす方法をみにつけて、

周囲との関係がおかしくなるようなことはなくなりました。

ただ、自己開示をすることはやはり苦手なままでした。

 

 

就職の面接などは前日から気が重い状態になりました。

面接では、ちょっとしたことで、

耳まで真っ赤になってあがってしまいますし、

まともに話せなくなってしまいます。

 

でも希望職種はつぶしがきくだろうと

消去法で営業職にしていました。

花形に憧れていたということもありました。

 

 

就職、3年後に転職

就職した先は、印刷関連会社でした。

大手印刷会社からの下請け仕事です。

 

営業は、仕事を自分で組み立てられるので、

とても性にあっていました。

 

3年後、ある程度の仕事を覚えたころに、

印刷全般をみたいという気持ちが大きくなり、

知人の紹介で転職を決めました。

 

 

転職した印刷会社は

本社が関西にある会社だったので、

関東の営業所は外様である

という印象をひしひしと感じました。

 

 

東京のど真ん中にもかかわらず

関西弁がとびかう営業所の雰囲気にも

なかなか慣れませんでした。

 

 

仕事にもなじめず・・

仕事も、前の会社と同じ営業職ではあったのですが、

以前の会社のように毎日同じ取引先を訪問するルート営業

ではなく、

8:2の割合くらいで新規取引先をとる、

とにかく「新規を取ってこい!」

の営業方針でした。

 

これが、電話嫌いの私にはこたえました。

 

 

10件電話でアポイントを取ろうとすれば、

8件は「うちはいらないよ!」と断られます。

 

アポイントをとって訪問しても、

担当者にドタキャンされることもありました。

それが人格を否定されたような気持ちにさせられるのです。

 

今ならなぜダメだったかは分かるんですが、

当時は「なんでなんだ?」とか

「もういやだ・・」って思ってました。

 

 

月曜朝の営業会議で所長から・・

その会社では

月曜朝の始業時刻前に

営業会議をすることになっていました。

 

 

私をその会社に紹介してくれた人は、

私が勤務した営業所の所長でもあり、

その会社の役員でもありました。

 

 

彼は役員会議などで

本社から営業所の営業成績について

かなりいろいろ言われていたのでしょう。

 

 

 

営業会議では、

営業が一人ひとり進捗の発表をして、

数字の根拠をいい、所長のコメントを聞きます。

 

 

所長は、会議ではかならず

営業職員のだれかを口撃していました。

 

 

 

一時間の会議のうち、

口撃時間に30分以上の時間を使うこともありました。

 

 

 

まず、私と同時期にその会社に入った人が口撃の対象になりました。

その人が1年くらいで別の会社に転職していくと、

私に口撃の矛先がうつりました。

 

 

 

人間の資格って・・

会議には所長の口撃をかわすために、

想定問答を考えてのぞみます。

でも、希望的観測だけではどうしようもありません。

 

 

会社へというより会議にいくのが

嫌で嫌でしょうがありませんでした。

 

 

武器を持たぬまま戦場にいき、

なぶられるようなものです。

 

 

数字が上がっていないので

黙って所長の長いお叱りを聞くほかありません。

 

 

あるとき所長から

「きみは人間でいる資格がないんじゃないか」

と罵られました。

うつになる

 

だんだん体調もおかしくなってきました。

朝、自宅の最寄り駅で

通勤の電車に飛び込んだら、楽になるかなと思いました。

 

会社に行っても、

お腹の調子が落ち着かず

トイレから1時間近くも出られない状況になりました。

 

 

普段であれば、3分でできる単純な作業が、

10分以上かけてもできないようになりました。

 

 

 

「おかしいな、こんなはずじゃない」と

病院にいくとうつ状態と診断されました。

 

結局その後、その会社は退職しました。

 

 

この時期にカウンセリングを1度受けました。

カウンセリングの先生は、

私の話をじっくりと聞いてくれました。

 

でも、うけとめてくれるだけで、

これからどうするかがなかったので、

すこし物足りなさを感じました。

 

充電後、再就職

身体の調子を戻すためしばらく休養しました。

半年後、ある程度うごけるようになったので、

再就職の武器とするために

簿記やPCの勉強をはじめました。

 

 

 

貯金が底をつきそうになったころ、

正社員として再就職をすることが出来ました。

再就職先は、とある会社の経理でした。

 

 

私が入社したときは、

経理には60過ぎと70過ぎのパートのおばあちゃんしか

いませんでした。

 

 

 

その後、その2人のおばあちゃんは退職し、

私が一人経理になりました。

資金繰りや仕訳の入力などをする傍ら、

銀行との折衝なども行いました。

 

対外的な仕事が増えてくる

数年後、その会社の営業担当が退職しました。

私の以前の職種が営業だったことから、

社長から営業と経理との兼務を要請され、

受けることになりました。

 

 

社内外での人との関わりも増えてきました。

社内の人事面も関わるようになったため、

営業・人事関係の本を読んだり、

セミナーに参加することも増えました。

 

集団に慣れてくる

経理営業担当としての社内での発言の機会もふえ、

集団での振る舞いかたも、こなれてきました。

 

集団は好きではありませんが、

前ほどはおびえなくなりました。

 

 

会議でも聞いているだけではなく

自分から発言をすることも

できるようになりました。

 

社内での相談業務

その後、社員やパートさんの相談を受けるようになりました。

心の相談や、人間関係、人事、転職のこと、

いろいろありました。

 

 

人間に対する興味も以前よりも深まり、

心理やコミュニケーションの勉強も始めました。

相談業務で心がけていたこと

相談は、相手をせめるのではなく、

逆に寄り添う言葉をかけるよう心がけていました。

 

 

以前の職場の所長から

言葉で傷つけられたので、

「私は北風と太陽なら、太陽でいく」

と決めていたからです。

 

 

 

「岸さんに話を聞いてもらって

すごく気分が楽になりました。

ありがとうございます」

 

 

「(親身になって聞いていただいたので)

母がお礼をいいたいと言ってます」

 

 

「話を聞いてもらうだけじゃなくて、

岸さんから聞いたあの話はとっても役にたってます」

 

 

カウンセリングのこと

うつの時に1度だけ受けたカウンセラーの方は、

じっくりと私の話を聞いてくださいました。

 

 

話を聞いていただいて

当時の私はとても楽になりました。

 

 

お名前もどこで話を聞いていただいたかも

まるで覚えておりません。

ですがとても感謝しています。

 

 

 

あのカウンセリングがあったからこそ、

改善した今の私があります。

 

 

でも当時は物足りなく感じました。

もう少し前向きで建設的なアドバイスがあったなら

立ち直りも早かったのではないかと思います。

 

 

私の夢

私はたくさんの人をカウンセリングによって

笑顔にしたいと思っています。

 

 

以前は会社の中の人たちが対象でしたが、

これからはより多くの人達の

お手伝いができればと思っています。

 

最後に

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

私は、集団が苦手で、いじめにあい、

仕事・対人のストレスから鬱にもなりました。

 

 

今も集団は好きではありませんが、

そつなくこなせるようになりました。

 

 

月曜の朝が憂鬱で仕方ありませんでしたが、

今は違います。

 

 

 

今では学んだ心理療法をベースに、

相手の意思を否定せずにうけとめ、

短期間で改善できるように導ける

カウンセリングを行うようになりました。

 

 

 

私のカウンセリングでは、

ココロの境界線をひくことで

自己肯定感が高まり

人生の流れが好転します。

その独自の手法を開発しました。

 

 

 

カウンセリングでは、そのメソッドをご提供します。

 

 

あなたの人生の流れを好転させるために、

全力でサポートいたします。

 

 

永久定着 自己肯定感カウンセリング

岸洋志